2022/05/24

背中での感覚って

 冷たい珈琲を片手に

川原で1時間ほどたたずむ


陽射しはあたたかく

吹き去る風はまだ涼しい


そんな風を感じていたら

そういえば風を受けるのって

好きだったなぁと思い出す


特に風を背中で受けるとき

なにかを洗い流されているようで

気持ちがいいんだった


そう思い出したとき

最近体感を増やしたいと思っていることと

つながるものがあった


感じるといわれると

あたまだったり

こころだったり

肚だったりするけれど


いまじぶんは

背中で感じたいんじゃないかと

そんなふうに思った


そう思うと

好きな岩盤浴も背中で熱を感じている


瞑想で呼吸をするときも

あぐらをかくより仰向けになるほうが

より深くできる


じぶんにとって

この「背中で感じる」ということに

どんなものがあるのだろう


背中をひらくような

洗われるような

解放するような


背中で浴びる感覚


なんだろう


背中ってなにがある?

どんな意味があるんだろう?


天使は背中から羽が生えていたりするし

背骨があり神経が通っている


あぁ

この感覚はなんだろう


2022/05/16

〜今月の満月の手ばなしごと〜

 いまじぶんが持っている

あるいはじぶんにあるものを

楽しむことへの遠慮を

手放す


:


何かに興味があったり

おもしろそうと思ったり

やってみたいと思ったとき


そんなに大したことじゃないから

とか

またそこまでのレベルじゃないから

とか

わたしがそんなことしてるなんて

とか


自分への評価や他者の目

様々な理由をつけて

そこから離れようとすることがある


でもそれって

もっともっと

自分中心でいいんだと思う


それがどんなペースでも

たとえどんなレベルでも


じぶんが楽しめればそれでいい


ペースやレベルは

あるようでないようなものだと思う


そこに固執して

感じた楽しみを体感できない時間より


その遠慮を手放して

この心身に体感させてあげるほうが


きっと注がれるものがあると思う


だから

自分がじぶんを楽しむことを

遠慮しない


じぶんにあるものを表現することを

遠慮しない


歌う

つくる

書く

踊る

動く

聴く

味わう

感じる

描く


この五感を震わせるもの

降りてきたり湧き上がったりするもの


そのじぶんのための経験を

遠慮しない


2022/05/08

また起き上がる。言葉を打つ。

 4月は燃え尽き症候群のようなところもあり、

あまり集中できそうになかったので、文を綴ることから離れていた。


そろそろまた言葉を紡ぎたいかなと思い始めている。

そんなときに、以前見た映画をもう一度見返し、

その時に書いたレビュー文を見返した。

3月19日。


このラインより上のエリアが無料で表示されます。

自己満足だけど、いい感性しているなーって思った。感じる力、切り取る力、まとめる力。

これおれが書いたのかぁと。

文を書くのは、筋トレみたいな面があると思っているから、

たった1ヶ月ほどだけど、なんだか衰えてしまったやという気持ち。


でもきっと、一度作られた回路はまだあるはず。

またそこに流せば、再び澄んだものが巡るはず。


時間をつくろう。

まずは、自分のいのちの時間の中から、

言葉を綴る時間を、

もう一度確保する。


そして息をする。

呼吸をする。

目を瞑る。


浮かぶものと楽しむ。

歌い、踊る。(踊りの経験は、ほぼ無い。印象)

リズム。

タイミング。


音数。

文字数。

行間。


間。

空白。

余白。


空想。

妄想。

連想。


自分を好きでいる。

自分を満たす。

自分のための問答。


表現。

良し悪しのない。

自由。


いまはそのじかんでいいんだ。

1日のうち、ほんの10分。

10/1440分。

じぶんと遊ぶ時間。

じぶんとおしゃべりする時間。


そう。遊んでいる。

高尚さも、見てくれも、承認も

好きにすればいい。

誰かのためにでなく、

自分のためのものであれば、

どれだけでも格好つけちゃえばいいでしょ。

そこには、

自分にとっての美しさがあるんじゃないか?


他からの評価を排したときに

それでもなお格好つけたいこと。

その人にとっての、じぶんにとっての、

美。

大いに広げちゃえばいい。

ここが、それでいい場でありますように。

2022/05/04

あらためて、問う

 今朝の夢は、マンションの一部屋で、日本が吹っ飛ぶかもしれない地震がくる予知があり、

実際に鮮烈な発光とともに揺れがきた。

携帯のライトで光を確保し、次に行ったのが、なぜか1階の共同部屋?に置きっぱなしにしていた琥助さんを引き取りに、迎えを後回しにしたことを大変に後悔しながら向かった。

エレベータはしっかり動き、謎に5階から地下直結のエレベータに乗ってしまい、急いで非常階段で上った。

この間ずっと焦っている。冷静を保とうとしているが、早口で口調も荒い。まだまだだなぁ自分。

そして向かった部屋には、なんとも大量のキジトラ猫。一瞬どれが琥助さんかわからないような状況だったが、みんなそれぞれ特徴が違う。

見定めていると、誰かのお迎えがきたよという声に、奥からしっぽの下がった琥助さんがビビりながら駆け寄ってきた…ところで夢が終わった。


:


この夢と全然関係ないのだけど、ある文章が気になって、あらためて思い起こしている。


なぜコーチングを学ぼうと思ったのか。

たいそうなものではなかった。その理由のひとつに、「良い問いをしたいから」というものがある。

そしてその問いを出すのに、じつに多種多様な要素が含まれていることを知った。


そこにはそれぞれの人の個性が混ざる。

個性を混ぜるには、自分を知ることが必要だ。何よりコーチングをする人が、自分を知る探求・探究をすることが、個性を混ぜることにつながる。

結果、いわゆる「コーチング」という定義の関わりとは別なものになるかもしれない。それでもいいと思う。コーチングは数あるひとつの手法で、それに合う人が突き詰めていく。そしてそれに合う人がその人のコーチングを求めていく。ここにも多様性と二極化の波が間もなくくるんだろう。


そんな中でもぶれない、この手法の本筋はどこか。王道はなにか。

そのようなことを求めながら、基礎を学んだきたと思う。

基礎練はどの世界でもやり続けていくことだろう。

野球の素振り、空手の正面突き、絵画のデッサン、瞑想の呼吸。

たぶん、コーチングにも基礎練があるだろう。


今はその中の自分の好みを感じている。どんなことが好きで、どんな関わり方が好みなのか。


そんな中、今感じているのは、いわゆる行動計画イケイケどんどんなセッションはあまり好んでいない。グイッといきたいタイミングもあるけど、そこを急ぐと表層で終わる可能性がある。


それよりも、


「自分を知る」「その物事とその人自身の奥になにがあるかを知る」「ゆっくり」「瞑想と思考の意識の境のような」「体感を促す」「自分を知るための練習の場の提供」「コーチに依存しないでよくなり、対等な時間を過ごせるような心身になるためのサポート」


今この寝起きの朝に浮かぶのは

そんなところかなぁ。


ぼくはなんだかんだ、ものをつくっている自分が好きだ。

その個性で関われる人たちが好きだ。

だからそこの振動は起こす。波紋を広げる。

また一方で、コーチングを学んでいる人たちも好きだ。その世界に関わる居心地の良さがある。そこでも波紋を起こすだろう。

そして、いわゆるコーチングにたどり着けないエネルギーの人たちの力にもなりたい。その架け橋が言葉かもしれない。本かもしれない。作品かもしれない。そこは、自分の選択と感性によるだろう。


じぶんの表現を探求していく

まず何よりもじぶんの人生のために


今はコーチングというツールを使っている


この波動に合う人の助力にもなれるかもしれない

この波動に共振される人もいるかもしれない


星の巡りのように

それぞれのタイミングで

重なり、寄り添い、また離れて旅をつづける


どんな軌道なのか

どんな周期なのか

この五感ではわからないけれど

いまここで出逢ったことを

感じて

像を描いて

大切にします


2022/05/01

〜今月の新月のはじめごと〜

 新月のはじまりごとと

満月の手ばなしごとを
開いてみようという思いつき


《自分の名前を意識してみる》


それはあなたに贈られたものでもあり

それはあなたが選んだものでもある

その言葉に秘められた
意味

流れ

それを感じてみようという意識

とらわれず
柔軟に
受け入れてみる試みを

2022/04/29

じぶんの名前の漢字をみつめる

 昨日のコーチングセッションで

「コーチングでどこまでいけるか」のテーマから
「なぜ生まれてきたのか」というお題を提案した
(なぜ生きているのか、なぜ今ここにいるのか、という3つと悩んだが、移動中に前にいた車のナンバーが自分の誕生日だったので、上記のテーマに決めた)

その中で、
「どんな想いで、親は自分のなまえをつけたのだろうか?」
という問いをもらった

自分の名前は「大きな山」という意味だと言われた記憶があったので、
それをもとに話を進めていた

どんな想いを込めて、自分の漢字の選んだのか

そう思うと、自分の漢字の成り立ちをあまりはっきり理解していないことに気づいた
いろんな漢字は調べていたのに

そう気づいたら、なんとなく避けていた記憶が蘇った
以前に調べたとき、「大きな山」という意味とはちよっとずれていたのだった
そこの違和感から、避けていたのだと思う

家に帰って寝起きた朝、
あらためて、漢字の成り立ちを調べてみた


顕嶺

顕は
左側に日と糸、右側に人が含まれ、日の下で糸を紡ぐ人という解釈から
「はっきりしている。あきらかにする」という意がある。

嶺は
連なった山、頭上の冠、ひざまずく人の象形から、人が神の神意を聞くという意と
人の頭部を強調した象形から
「多くの山々をまとめるいただき」
という意がある。


これを捻じ曲げないで、素直に感じてみよう

多くの山々には、自己の興味関心や他との関わりを感じる
そのいただき
自分の興味・取り組みが集約される印象が湧く
しかしそこにあるのは山である
山の成長、変化、多様性の速度と多さを想像する

その集約された山のいただきで
日の光の下で穏やかに糸を紡ぐ人は
その糸になにを込めているのだろう
なにがみえているのだろう
その行為になにを意味しているのだろう

それぞれの山々がいただきに至るまでの経験から
はっきりとあきらかにしたものを内包し
日の下で糸を紡ぐ人

なんだか
極に達した穏やかさを感じる

他者からはどう映るのかな

むかしから
一本とんがった専門性を発揮することに憧れを抱いてきた
小さい頃から夢を持って、邁進して活躍する人が羨ましかった

それに憧れる自分
それを目指そうとする自分
でもなんだかその熱意が続かずにいた自分
そんな自分に自己嫌悪した自分

でも
今じぶんは
連なる山々を育んでいるのかもしれない
それぞれの山に気づき、日をあて、成長を感じているのかもしれない

そう思うと
じぶんの人生の歩み方は憧れとは違ってくる

いろんな山をみつけて、山の速度で変化と成長をして
そのいただきを目指せばいい

いや
もうそのいただきは持っているのかもしれない

その連なった山々の変化を感じながら
今はっきりとしているものを
日の下で糸を紡いでいればいいのかもしれない
あきらかにすればいいのかもしれない

慌てなくていいし、焦らなくていい
うんうん、そうかそうか
今そこはそうなんだねって
穏やかに眺めればいい
そこに現れる変化をそのまま受け止める
それはすべて、必要なことで、豊かなこと
無理に千切ったり、崩したり、変えたりしなくていい
そのままを眺める自分でいいんだ
じぶんにとっても、だれかにとっても、なにかにとっても

そこで生まれては死んでいく循環も
いのちの共存も
地球とつながる大地を
頭上に広がる空と宇宙を
みて、きいて、ふれて、かんじる

そして紡ぐ
その糸はきっと
たくさんの光の色を放ち
いろんな質の手触りから成る
シンプルで、しかも純粋で
はっきりしていて、でも織り込まれていて
練度があって、でも抵抗のない

…、

おとと
欲がでたな

ただ、紡ぐ

山々のいただきとして
紡いでいくんだ
このじぶんの土壌にあるものを感じながら
いのちの循環を受け入れながら
どこまでも続くような空に触れながら
漆黒の中の星の光を受け止めながら

山の時間で
かたちを成して
あきらかにしていくんだろうな


2022.4.29 Fri / 8:38



自分の名前を感じなおすことって
すごくおもしろかった
関心が湧く人いたらいっしょにやりましょう
あなたに興味があるし、多少のガイドにはなるかもしれません

2022/04/24

琥助さんとの星の軌道

 今週は、なかなか大変だった。

飼い猫の琥助さんが膀胱炎になり、
夜通し泣き続けたり落ち着かずにいる期間が続いていた。

きっと本人(猫)も痛みだったり違和感だったりが大きかったんだと思う。
でも初めてのこの症状を共有したわたしは、
どうにかして落ち着いて寝たい、静かにさせたいと
相手を変えることに意識を注いでしまっていた。

人も、猫も、相手を変えようとするのはしんどい。
思い通りにならないから、余計に気持ちは乱れ、相手にあたる。

薬だって「食べさせよう」という気持ちであげてしまう。
9種類ほど食べさせ方を試しただろうか。でもどれも飲み込んでくれなかった。

ふだんから人間の2歳児のように甘えたで不安がりなので、
注目をしてもらいたいがためにおしっこをする、ということをしていた琥助は、
エスカレートして、多いときは5分に一回はトイレに行った。空っぽの膀胱をしぼって。
通常ではみない赤い血が混じる。
赤というものは、なぜこんなに心配を覚えるのだろう。

でもこの睡眠不足と琥助さんの反応に少しだけ慣れてくると、
違った姿を感じるようになってくる。

水をいつもより多く飲んでいる。
医者のいうことを聞いているわけでもないのに。
彼も、なんとかしようとしているんだ。

日中の居眠りの顔をみる。
なんとも穏やかなそうな顔で寝ている。
彼も、きっと落ち着きたいんだろう。
騒ぎたくて、そうしているわけではないように思った。

そう感じると、敵対する気持ちから、いっしょの方向をみて付き合うという
気持ちが湧くことがでてきた。
薬をあげるときも、うまいこと食べさせようという気持ちからいっしょにがんばって治そう、おれも食べやすい方法を考えるから、がんばって食べてねという気持ちになった。

そうすると、少しだけ薬を食べられるようになった。
夜も騒ぐ時間が短くなってきた。(それでも1時は越えていた。昨日は0時前までになった)
自分もも徐々に協力していくような感覚になれてきた。

寒かった今日、朝布団に入ってきた。以前のように関われることが嬉しくて安心だった。

猫との暮らしは学びが多い。気持ちの修行も多い。
可愛さと同じくらいの試練がある。正直言って、耐えきれなくなって手放したくなる気持ちもとてもわかる。
それでも琥助さんには縁を感じている。わが家に、自分の人生に必要があって、
沿うように入ってきた。まるで星の軌道の重なりのように。

いっしょにいる理由は、そんな不思議で目に見えない理由で十分である。
ぼくにはそれだけで十分だ。

「児童・思春期の自傷・自殺企図にどう向き合うか」

第4回多摩地域リエゾン会議「児童・思春期の自傷・自殺企図にどう向き合うか」に参加してきました。 この回は多摩地域内の病院や東京都保健医療局の方々が講演者に並び、地域の医療や行政・教育機関の皆様が集まる会でした。対面では100名近く、オンラインでは500名近くの方が繋がったといいま...