2022/01/10

柔らかな孤独

 いま、なんだか孤独を感じている。

冷たいわけではない、隔絶されているわけでもないが、
ぬるく、柔らかな孤独。

この孤独は、なにから来ているのだろう。

なにを今、率直に感じている?


この孤独は、積み重ねてきたものの無効感からきているところがありそうだ。
確定的な事柄ではないが、もがいて掻き分けようとしてもぬるりとすり抜けて纏わり覆う、
柔らかな孤独。


そのひとつに、ギャップ。思い描いていた状態とのギャップ。

ただ、思い描いてきたものも、それを下回ると思っていることも、どちらもマインドブロックのようなものなんだろうが。


限界なんて(必要ないことは)定めることもなく、勝手に囚われる必要もない。

いまはその想像してきたレベルでなかった指摘に、がっかりするとともに、感じてきた意味が薄まっている。
こんなことをやっていて意味があるんだろうかという自分への問い直し。これが始まると、自信もなくなり世界に取り残された感覚になり、しんどくなる。

じわじわと、そのぬるい温度に息を詰められる。


こんなことをやっている意味。いったいそこになにを求めていたのだろう?

取り残された気になる世界って、なにをイメージしていたのだろう?

自分の課題、自分が好きだったり、良いと思うことを一生懸命やる世界。


ほんとうは、それだけで、よかったんじゃないの?

だれと比べるのでもない。
優劣でもない。
自分を発揮することに、集中すること。


人は一人一人だ。


関わりながら生きてはいくが、
一人であることに過剰に反応したり、
蔑んだり、しなくていいんじゃないだろうか。

孤独はつきもの。
その中から発揮していけるのが、
ひとなんじゃないか。


誰かが都合よく連れてってくれるばかりじゃない

ひとつひとつ、じぶんがやっていくしかないか。

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