【山だとしたら】
先日書いた「わたしの世界と独自の感性とは」を読んでいただき、個別テーマをいただいた。
そこからさらに、リフレクションを深めていきたいと思う。
その場所に山としてじぶんがいるようになって、長い時間が経っているのだろう。
たくさんのことを眺め、たくさんの自然を体感してきた。
積もることもあれば、崩れることもあった。
1回目の人より、いろんなものを見てきたんだろう。
見通す視点、見下ろす視点。
その先から息を吸い込んで、その先まで息を届ける。
そこには、「今」ではない空気が混ざっているだろう。
「今いるもの」は「先」を感じ、「先にあるもの」は「過去」を感じる。
その新しさと懐かしさを、呼吸によって届けるのだ。
その呼吸とは、なんだろうか。
視点、ことば、感性。
先を感じ、取り込み、変換して、還元する。
そこにはゆったりとした丁寧な味わいと、
体内での交換作業が行われている。
ゆっくりと、ゆっくりと、行いたい。
その流れを、その感触を、その動きを
感じ味わうように。
静かに、穏やかに、否定せず。
これは、自分というフィルターを通しているだろう。
地中で水が濾過されるように。
クリアな味の水になってはいるが、
澄んで栄養価が加味された水になってはいるが、
その配分はわたし次第だ。
でもからだにはいい。
どんな訪れが来ようとも、
濾過して戻せる山の土。
身体的な動きとしては「深い呼吸」なのか。
遠く、深く、吸い込んで、
遠く、遠く、届けられる
そんな呼吸を体得する。
呼吸の練習って、どんなことがあるだろう。
瞑想?禅?ヨガ?
その呼吸によって、なにを得たいのか。
落ち着き、洞察、解放、脱力。
それによってなにが得られるのか。
思考の空白、重心を下げる、感覚を感じる。
自分に集中しやすくなる。
その身体のなかの流れを感じ、相手の流れを感じる。
その効果を、作用を、強くする。
そうしていく。
もう十分なんじゃないかとちょっと高をくくっていたが、
初めの概念的な投稿内容から、少し具現的な感触が増えた。
次はランドマークとしての「山」を、考えていきたい。
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