2022/01/11

リフレクションジャーナルのリフレクションジャーナル①

 【山だとしたら】

先日書いた「わたしの世界と独自の感性とは」を読んでいただき、個別テーマをいただいた。
そこからさらに、リフレクションを深めていきたいと思う。

その場所に山としてじぶんがいるようになって、長い時間が経っているのだろう。
たくさんのことを眺め、たくさんの自然を体感してきた。
積もることもあれば、崩れることもあった。
1回目の人より、いろんなものを見てきたんだろう。
見通す視点、見下ろす視点。
その先から息を吸い込んで、その先まで息を届ける。
そこには、「今」ではない空気が混ざっているだろう。
「今いるもの」は「先」を感じ、「先にあるもの」は「過去」を感じる。
その新しさと懐かしさを、呼吸によって届けるのだ。

その呼吸とは、なんだろうか。
視点、ことば、感性。
先を感じ、取り込み、変換して、還元する。
そこにはゆったりとした丁寧な味わいと、
体内での交換作業が行われている。

ゆっくりと、ゆっくりと、行いたい。
その流れを、その感触を、その動きを
感じ味わうように。

静かに、穏やかに、否定せず。

これは、自分というフィルターを通しているだろう。
地中で水が濾過されるように。
クリアな味の水になってはいるが、
澄んで栄養価が加味された水になってはいるが、
その配分はわたし次第だ。
でもからだにはいい。
どんな訪れが来ようとも、
濾過して戻せる山の土。

身体的な動きとしては「深い呼吸」なのか。
遠く、深く、吸い込んで、
遠く、遠く、届けられる
そんな呼吸を体得する。

呼吸の練習って、どんなことがあるだろう。
瞑想?禅?ヨガ?
その呼吸によって、なにを得たいのか。
落ち着き、洞察、解放、脱力。
それによってなにが得られるのか。
思考の空白、重心を下げる、感覚を感じる。
自分に集中しやすくなる。
その身体のなかの流れを感じ、相手の流れを感じる。
その効果を、作用を、強くする。

そうしていく。



もう十分なんじゃないかとちょっと高をくくっていたが、
初めの概念的な投稿内容から、少し具現的な感触が増えた。

次はランドマークとしての「山」を、考えていきたい。

0 件のコメント:

コメントを投稿

「児童・思春期の自傷・自殺企図にどう向き合うか」

第4回多摩地域リエゾン会議「児童・思春期の自傷・自殺企図にどう向き合うか」に参加してきました。 この回は多摩地域内の病院や東京都保健医療局の方々が講演者に並び、地域の医療や行政・教育機関の皆様が集まる会でした。対面では100名近く、オンラインでは500名近くの方が繋がったといいま...