3日間プログラムで、
とある瞑想家の方の講座を受講している。
瞑想の歴史から座り方の解説など、
はじめのところが1日目だった。
あまり瞑想については学んだことがないので、
新鮮でとても楽しい。
人はなぜ瞑想をするのか。
ふと思いうかぶ。
脳機能のせい?
生きものはみんなしてるの?
瞑想と名付けたけど、他の生きものにしたら別の行動?
武道も、ヨガも、マインドフルネスも、
なんだかみんなよく取り入れるんだなぁ。
人にとって目は、視覚情報の入り口だ。
そう入り口。ここから視覚情報を発するわけではない。
人の目はプロジェクターにもならないし、光もでない。
瞑想ではその入り口を閉じることが多そうだ。
入り口を閉じる。
五感のなかでの最大の情報接種機関を、一時的に閉める。
その処理のエネルギーはいったいどこにまわっていく?
もしくは、まわしていく?
それは、「自分に」だろう。
素粒子のスリット実験のように、
見るだけで影響を与えることがある。
人の目が「見る」ということは、
映像はでないが、波動は出ている。
目を瞑ることで、「見えていない」と感じることで、
「自分へ波動を向ける」という意識を
向けているのだろう。
そうして自分を「みる」。
自分の聴覚を、味覚を、直感を。
意識を、無意識を。
体感を、遺伝子を。
人が持つ「みる」エネルギーを
「自分」にむける。
視覚的に利便性を発展させ、
そこに必要性を喚起させ、
消費してきた現代だからこそ、
人は瞑想を求めているのかもしれない。
そんなことを想像をする
今日このごろ。
0 件のコメント:
コメントを投稿