2022/04/05

ことばなき反応を感じ、己の言葉に変換する

 うちの朝は

起きたらすぐにスイッチが入ってしまう
少しでも動けば猫の琥助さんが察知して
ごはんとなでなでと違う部屋へ連れてっての要求の大鳴きが始まって
まずはその対応が始まるからだ

だから世に言う朝のゴールデンタイムが中々使えない
モーニングノートとか朝の瞑想とかは、今の自分にとっては取り組みにくいものだ

そんな静かな朝がある人はいいなぁとも思う

まぁ自分にはそれが与えられていないのだから、きっと今は必要ないんだろうなぁ

それよりもなにかと向き合うことがあるんだろう

自分のリズムの波を感じて
猫の波に沿わせながら
こころを荒立てずそのときをともにする

文字で書くと美しいが
実際は精神修行のようである

パートナーと日々朝晩と向かい合っている

いろんなバランスを考える

パートナーの体調、自分の状態、予定の繁閑、心の許容度、休養の確保、思いやる、思いやり過ぎない、
そんな動きを感じている

最近感情を観るということがちらちらと入ってくる
ヨガの八支則ではプラティヤハーラ、コーチングでは内観、ジャーナリングでは浮かんだものを書き出すこと、瞑想でも似たような状態があるのだろう。ちょっと名前はわからないけど。

制感だったり、体感の観察だったり、心の対話だったり、感情のネーミングだったり、ヒーリングというのもそのひとつかもしんない。引き寄せなどのスピリチュアルや、宇宙の法則やちら見レベルの量子力学もそうなのかな。コーチングの質問だってそう。
手が変わり品が変わりでそれぞれだけど、やろうとしてることって同じようなことだよなぁ。それぞれ、人が取り組みやすいものを見つけて選んでいく。

自分に気づく、選ぶ、意識する。

深さや見極めはあるかもしれないけど、その練習。

思考と、脳の電気的機能と、五感の受感性と、身体の反応と

ことばなき反応を感じ気づき
己の言葉に変換して意識する。翻訳かもしれない。

それはこの細胞と、遺伝子と、もっと小さな存在と、世界をつくる存在との
対話の練習なんだろうなぁ。

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