こちら珠洲焼といいます。
12世紀後半から15世紀末にかけて、能登半島先端・珠洲市内でつくられた焼き物です。
戦国時代に忽然と姿を消し、わずかに残された断片から400年の時を経て再び蘇ったもの。
古墳時代中期に大陸から伝わった須恵器の流れを汲んでいると言われています。
釉薬を使わず、高温で溶けた灰が自然の釉薬となり、素地に炭化して独自の灰黒色の艶と質感が生み出されています。(説明参考:土産品・雑貨・珠洲焼の店てんださま https://www.instagram.com/tendashouten?igsh=bHF1b3BtdHdiamRy )
この珠洲焼を手にしたのは先日のこと。
帰郷した際に父に「輪島をまわりたい」と言われ同行したときのことでした。
父は幼稚園前後まで輪島で過ごし、曾祖父はその土地で輪島塗の職人をしていました。
普段はそんなに意識はしていないものの、自分の系譜に輪島という土地が流れていることを実感します。
能登半島地震から1年半が過ぎ、能登街道も通行ができているものの、途中はまだ速度を落とさないと走れないような道路の蛇行や隆起が残っていたり、
崩れかかった家が残されたままだったり、再建を待つ家屋がたくさん残っています。
この数少ない道路で繋がる土地の今後を、これまで以上に考え感じた1日でした。
その中で出逢った土地の方々は、みんな言っていました。
「わざわざこんなところまで足を運んでくれてありがとう。ありがとう。」
と。
同じ言葉を、東日本大震災から2年後に訪れたときの名取で言われたことを思い出します。
あの時感じた、漠然とした無力感や自分の身の上でなにかできることを身につけたいという想い。
それに近しいものを今回も感じましたが、あの頃より落ち着いて、実を持って、感じられているように思います。少し人生を生きてきて、得たものや手放したものがあるのでしょう。
今は無き曾祖父の家があった土地も眺め、日本海の波と香りを浴びると、
なんだか自分の奥底にあるなにかが共鳴しているようにも感じられます。
それはまだ言葉になり切らない、反響のようなものかもしれません。
そのときを、その流れを、生きていくこと。
その同一感と境界を、今日も生きています。
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