2022/04/06

じぶんにとってのしあわせってどんなもの

 どまんなかの問い。

しあわせについて。
思うところがあり、
この問いに、あらためて向き合ってみた。

よく言われている「しあわせがあることに気づく」ということも大切なことだと思う。
それは既にあって、気づくことで満たされる。それもあると思う。

ただ、それでは何かが欠けているように今は感じていた。その何かを求めていた。

先日コーチングをジャーナリングで向き合った際に、
突き詰めた「どうしたらその奥に辿り着けるか」という問いを持ち、
コーチにテーマをリクエストした。

そうしたら、これまでの経験が集約されたような、そんな現在地にいきついた。
それは

じぶんが良いと思うことに気づき、
それを五感で感じられるようにし、
それをこの身に取り込んであげることだ。

じぶんにとってのしあわせとは

じぶんが良いと感じるものにきづくこと
それを形にしたり、それがあるところに身を置き
じぶんの五感で感じさせてあげること

そうすると
じぶんが良いと感じられるものを取り込むことができ
じぶんの栄養・エネルギーとなり
じぶんをより活発にしてくれる

すると
よりじぶんの波動がつよくなり
生きるエネルギーが湧き
さらに楽に生きられる
するとよりじぶんの良いと感じるものにきづきやすくなる

という循環のなかにいられる

いいなと思うものの
心地よいと感じるものの

気づき、体感、吸収
この巡り。

自身と情報とのバランスをみて
そのあいだを行き来しながら

知る、感じる、味わう。
この巡り。

食べたいものに気づく。
それを食べる。
食べたいと感じたものが取り込まれる。

あの場所にいきたいなと感じたものを
その身に感じさせてあげて
その気を栄養とする。

その巡りがしあわせだと思う。

しあわせの語源は良いめぐり合わせだそうだ。
後に幸せという漢字に
今一般的な意味があてはめられたりしていったようだ。

それはじぶんの心身と
その中の小さな小さな存在への良いめぐり合わせ。
それをたくさん
味あわせてあげたい。


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