2023/03/06

ICF共同探究会〜振り返りアウトプット〜

今夜の探究会は

①コアコンピテンシー 「A.基盤を整備する 01.倫理に基づいた行動をしていることを示している」の定義

②新資格認定試験サンプルクエスチョン1のBest action

探究しました。


コーチングの倫理とあるべき基準を理解するために、改めて「コーチングとカウンセリング、メンタリング等との違い」や「コーチングってどう説明する?」といったことも言葉にし合いました。


また、新資格認定試験の方は、

問いを回答していくには、やはり規定やコンピテンシーの読み込みが必要になっていくこと。日本語訳の曖昧さ。倫理規定やコンピテンシーのどの項目についての問題になっているのか、など

対策方法や取り組み方などをみんなで確認し合いました。


次回も本日同様、前半は規定類、後半は資格試験の考察とします。

お疲れ様でした。


2023/01/22

選ぶこと

地球と生き物の暮らしを考えたとき

一体何から手をつければいいのか

わからなくなるような埋没感を

感じてしまうときがある


地球の存続が必要な道筋なのか

消費する中での変化の経験なのか

全ては夢の中で粒のひとつなのか


今目の前で起こっていることと

個の今を生きることとは

本当に自らの世界だけなこと

なのだろうか


この選択が運ぶ先と

この今の現実が

経験させたいものはなんだろうか


ぼくから見える今の世界は

一方で

削り消費されている

日本でいえば

命に近いことが離され

支配されてしまっている


山 水 植物 空気 土 栄養

知恵 治癒 意識 時間

感覚 想像 喜び 幸せ


数量と心理の応用で

いとも簡単に流れていく


一方で

個の全うを目指している

意識 思考 魂


それらは共存するのか

現実化するのか

はたまた幻なのか


反面

日々は心地よいことで

散りばめられている


口にするもの 猫の毛ざわり

心に触れる会話 あたたかな陽射し

想うこころ 吸い込む風


.


なぜ

命に関わることを大切にできない

世界が広がっていっていると

思ってしまうのだろうか


なぜみんな

命と命に近いことへ

大切にエネルギーを使って

いきづらくなっているんだろう


それがヒトなのか

それが経験なのか


じゃあ自分は何を経験するの?

何をキャッチできて

何を選んでいけるの?


たぶんまだ大元がある

そこに気づいていなくて

指針が上っ面なのかもしれない


身体を養うもの

 取り入れるもの 巡らせること


心を養うもの

 体感と直感と思考

 思考も要すると思う


死生観

 命を取り込んで生きながらえる

 という事実

 死の捉え方と争う思考との調和


.


無常と快適の交叉点はあるのか


破壊と想像 生と死 無常と遺伝

そうか

そのすべてがあるから 現実がある


.

何かのための命ではなく

命のための時間にしたい

はじまりは 己からしか生めない


いったいこの地球上には

何個の命があるのだろうか

そしてこの宇宙 はたまた

宇宙と呼ばれている領域には

いったい何個の粒が

存在しているのだろうか


それだけのものか

なければいけなかったのか

それだけのものがあっても

よかったのか


それらが

繋がったり離れたりしながら

何かになったりならなかったり

しているんだろうか


わたし これと繋がってみました

こんなんなりました

なるほどなるほど

じゃあこっちは?

なるほどなるほど


あ 時間のようです

じゃあ一旦終わります


またよろしくどうぞ


そんなことを

数えきれないほどやっている

中のひとつひとつなんだろうか


.


それならばぼくができるのは

いま 選ぶことだ


あぁ 結局またここに辿り着くのか


己が 選ぶこと


命のための時間になることを


なるべくね ちょっとずつでも

ここがまたひとつのスタート


.


結局 あたりまえのようなことを

なぞっただけかもしれない


それでも

この目の前の世界が


ヒトや自然や各種である前の

生き物である前の

原子分子である前の

エネルギーである前の


その意味に気づいた上で


エネルギーであり

原子分子であり

生き物であり

自然であり

人である


その命のための時間を

選んでいく


身 心 感 繋


気づこう

知ろう

対話しよう


そして

選び 繋がろう


.


#リフレクションジャーナル #新月

2022/09/19

『石油】

かなり多くの、日本ではほとんどの人が関係を持っているのではないかと思う資源。


プラスチック、電気、ガソリン、直接は使っていなくても、

魚を獲るための船の燃料、オーガニック製品をつくるための機械を動かす電気をつくる火力発電の燃料、各地の有機野菜を届けるためのトラックの燃料、ログハウスを建てるために伐採するための道具の燃料。鶏肉の飼料を運ぶ船の燃料。ペットのごはんのパッケージ。このスマホ。


もはや、「普通に」暮らしていて、関わらないところがないように思われる。

自分を含め世の大人たち。その建前は、真を通しているのだろうか。


インテリアの仕事についていた時も、照明の仕事をしている今も、電気に少し近い関わりをしている。

どうしたらより良く電気と関わっていけるのか。

時に行き詰まり、時に忘れ、時に流されながら、この問いを抱えている。


まだ見えていない真実からは想像できないが、

この石油はいわば "過去の遺産" 。

みんな、遺産を消費しながら暮らしている。


石油というものを再生産できないのであれば、使った分だけ消えていく。地球の中にある資源とエネルギーを消費していっている。


だから、消費した分、もしくはそれ以上の、地球が回復するようにしていくことが必要なんだと思う。この星で、じぶんたちが健やかに生きるためにも、未来の子たちが安心して暮らしていくためにも。


循環。


いつか

石油がなくなったとき、わたしたちは存在を維持していけるのか。その人生の主導権を、他者に明け渡してはいないだろうか。


それには様々な測りがあると思う。すべては繋がっていて、切り口やスタートラインの問題だから。


仮に定説通り、石油が過去の生き物の遺骸であり、それを地球が変化させたものであるとするならば、

受け取っているのは存在しているものからのエネルギーであり、それは愛と呼ばれるものかもしれない。


その愛をどう意識して受け取るのか。そしてどう活かすのか。何に費やすのか。どれだけ、受け取っていることを感じるのか。


地球が回復する方法。

ぼくは、すべての存在が、自らを大切にすることから始まると思う。そしてその為に、己を知ることが必要になる。


.


電気が反応し、生じる光。

人はいわゆる発光をすることはないが、光を目から受け、利用していく生き物だ。

目以外への作用ももちろんあるが、そこから影響されることが多くある。

それは身体的にも精神的にも、活用している。生体リズムに影響し、心理作用にも影響する。


.


『その影響力を、他者に明け渡していないか』


.


煌々とした光に囚われていないか。眩しい画面にリズムを委ねていないか。夜という闇の必要性を考えているか。


石油というエネルギーとどんな意識で関わるのか。

ぼくはそこに灯りという切り口で関わり、小さな灯りから己を知ることへ繋がり、この生きている土壌と地球へと廻っていきたいと今は思う。


石油という粒子が電気に変わる。

電気という状態が、光を生む。

光という要素を利用して、灯りに置き換える。

灯りという要素を通して、心身に響きを発する。

心身の響く要素を知って、共振共鳴が起きる。

共振共鳴をつよくして、そのエネルギーを広げる。

そのエネルギーが広がって、調和を生む。

調和が生まれて、生きものと地球と和する。

生きものと地球と和すれば、生きやすくなる。

生きやすくなれば、楽になる。

楽になれば、豊かに暮らせる。

豊かさを感じられたら、幸せだと思う。

その幸せは、粒子となって己に再び取り込まれ、巡り、またすべてとつながっていくのだろう。


.


道のりは長いように思えていて、今世でどこまで辿り着くのかわからないけど、

今在るものを活かし、いまできることをやっていく。

熱意と許可

 先日通っている整体で、

「作家としての熱意が足りない」とことばをもらった。

「作品には熱意がこもっているのはとてもよくわかる。だからわたしも買わせてもらったのだし。でも、伝える部分では熱意が足りてないんじゃない?」と。


それを聞いて、思い出したことがあった。

それは中学高校のころから、どこか「自分が考えていることやこれが良いと思っていることは、他人には理解してもらえないんじゃないか。共有はできないんじゃないか。」という考えがあったこと。

そしてそれが心のどこかにまだ存在しているということだ。


そのコンプレックスともいえるものが、自分の感性への自信や勇気、相手へ伝えようという気持ちを萎えさせ、遠慮や控えといった状態にしてしまっているのではないかと。


そういうことが苦手だと思っていた。

でも苦手なだけじゃなく、自分に許可をしていなかったのかもしれない。


ものにはよく込めている自覚はある。自分の感性・哲学・大切だと思うこと・これからの人生・生きる土壌である地球について、人としての関わりについて。

みえるものもみえないものも、自分の考え、経験、感性をもとに注ぎ込んでいる。ものは、それに応えてくれる。


ただそれを人に伝える段階になると、上記のことが生じてくる。

途端に勧めることが億劫になり、自信が減ってしまう。

発信する内容も、幾分良くはなってきているが、23枚ベールにくるみながらやっていたような感覚にすらなった。


熱意。


熱意だけ伝えればいい。


それは解放でもあると感じた。


あぁ、解放してもいいんだと思ったとき、

うれしい気持ちになったのと同時に、

どこかそれを待ち望んでいる自分がいるように感じた。


この命を生きるならば

ぼくは自己を解放してあげたい

十分に発揮してあげたい


そう感じたひとときだった。


だからこれからは、そんな解放をしていきたいと思う。

この投稿すら自分にとってはチャレンジングだ。

どう言動が変わるのか、強調されるのかはまだよくわからない。

人にどう伝わるのか心配を少し感じるが、

でもそれが己であるから、後のことは仕方のないことかもしれない。


許可をだす。熱意や己を解放することに。

ぼくは自分の感覚が好きだし、自分の経験を尊いものだと思っている。

そこから生んだ作品たちは、自分の分身のように愛情が湧く。


己に、己の感覚に、感性に、経験に、思考に、判断に

嘘はつかせたくない。


どこかにそんな気持ちを感じたから、安定の企業を辞め、小さな筏でこぎ出したんだろう。

そうなった。そう受け取ってきた。流れの中から。選んできた。


ちょっとやってみる。

この生命に許可をだそう。

2022/07/19

いまあるものを、いかす

 いまあるものを、いかす


これまでいろんな場面で

夢をみたり、憧れたり、想いを描いたりして

旅に出たり、ネットを眺めたり、買い足したり

していたと思う


それはもちろん

何かを掴むときもあれば、感じることもある

出逢うことも多いし、迷いが消えるときもある

それはこれからも変わらないだろう


.


いまあるものを、いかす


.


これは、出発点の話


足るを知るとも少し違う


いま、じぶんの中にあるもの

いま、すでに周りにあるもの

いま、このせかいにあるもの


からだ、こころ、いのち

感性、能力、発想

過去に買った材料、冷凍庫にある食材

目の前にいるひと、巡り逢ったどうぶつ


水、空気、土

陽射し、風、雨

花、虫、木


何が足りないのか

何が足りないと思っているのか

思わされているのか


快適、便利、速さ


とても魅力的に映る


そして

それとともに置き去りにしているものは

いったいなにか


いまあるものを、いかすことを

ひと息ついて周りを見渡すことを

抱きしめて温度を感じることを


その想像を

その時間を

その体感を


そのバランスを

その調和を


受け止める

感じる

理解する


右脳と左脳をつかう


ひとには、それぞれひとつずつある


思いもしなかったことが

舞い込むときもある

そこにも

そんなことを舞い込ませたもの

もあるし

舞い込ませることができるじぶん

もある


絵だって描ける

踊りだって舞える

小屋だって造れる


それを否定するのは

評価だったり、比較だったり、正解だったり

得意とか苦手とか


それはいつも必要なことではない

必要なときに、使えばいいもの

いつも、それに左右されなくてもいいもの


そこには、いつもある

小さく思えたり、大きく思えたり

するときもある


見えなくなったり、埋まってしまったり

するときもある


選ぶことができる

気持ちや、思考や、意識を

選ぶことができるんだ


いま欲していることは

ほんとうにないものなのか

欲していることの奥には

何を望んでいるのか


惑わされていないか

幻想に囚われていないか


いま自分がもっているものはなにか

いま自分に備わっているものはなにか


あるものを、愛する存在のように

その眼差しを、その抱擁を


いまあるものに、向けてみたら

いまあるものに、伸ばしてみたら


あなたと

せかいと


どんなハーモニーを

奏でることができるだろう

2022/06/17

関係性の距離

 初めて泊まるペンション。ご挨拶程度の会話。

素泊まりで1泊する。とくにふれ合いもなく過ぎる。
2日目。夕食プランをいただく。ごはんの内容や美味しさ、地のもののことなど、いくらか話をする。お互い笑顔がでて、自分の話を少しする。
3日目、チェックアウト。背が高いねぇ、男前だねぇなんて言われる。息子さんの話とか出てくる。次のところまで送っていってあげるよなんて言ってくれる。車内でも、旅行の話なんかする。またおいでねって、言ってくれる。
あー、そうだよね。人間ってこうやって、距離を近づけていくよね。
システマチックな対応やマニュアルのある態度も、もちろん嘘ではない。気持ちを込めようという意思がある。
でも、この距離の近づき方って、なんだか人間らしいかんじがした。そうやって、ちょっとずつ、必要なところからつながっていくんだろうな。

それを感覚で飛び越えてくるのが動物たち。
写真は、出会って1時間後の猫先生である。

そんな阿蘇の旅。

2022/06/12

あらしのあとのいるまがわ

 雨が降る、川嵩が増す

雹が降る、車が傷つく
風が吹く、草がなびく
陽が照る、地面が乾く
水を飲む、喉に流れる

そりゃそうだよなって思う
そんなものだよなって思う

実はそんなものだらけなんじゃないか

事実はそこにある
真実はそれぞれにある

ミクロの世界も
マクロの世界も

一羽飛んできた鴨が
川に着水したら
草陰から2羽現れて
一緒になって飛んでった

きみたち友達だったのか
それとも家族

あぁ、今日も愛らしい世界がここにある

「児童・思春期の自傷・自殺企図にどう向き合うか」

第4回多摩地域リエゾン会議「児童・思春期の自傷・自殺企図にどう向き合うか」に参加してきました。 この回は多摩地域内の病院や東京都保健医療局の方々が講演者に並び、地域の医療や行政・教育機関の皆様が集まる会でした。対面では100名近く、オンラインでは500名近くの方が繋がったといいま...