「楽しい」という感覚はどこから来るのだろうか。
なぜだかぼくは、
楽しいという感覚が、時間が経つと泡のように消えていってしまうように感じている。
もちろん全てがとは言えないが、なんだか感触が薄い。手ごたえが少ない。(触感覚系。あと言語感覚系をもつ)
些細なところにたくさんあるのか、そもそも起伏が少ないのか、
なんだか低空飛行なかんじ。離陸するのにヨイショがいる。
もう少しじぶんとなかよくなりたい。
じぶんが好きなこと楽しいことを意図してさせてあげたい。
なぜか客観視。自分自身が楽しいことしたいでもいいのに。
小さいころに楽しいと思っていたことは?と問われればある。
テレビゲームは親より早起きしてやっていたし、自分のお気に入りをつくることもやっていた。友だちと遊ぶことが好きだったし、約束を反故にされると悲しくて泣いた。
そんな中に楽しいはある気がする。が、いまこの時点ではちょっと遠い。
かき分けたり目をこらしたりしないととらえられない。
好きと楽しいのエネルギーの違いもあいまいなところかもしれない。
「好き」で生きるより「楽しい」で生きたい。
その方が、直感的で身体的で素直なかんじがするから。
好きなことをするから楽しいの?う~んイコールとはいいがたい。
楽しいって、もっとこう、細胞が湧き上がるような、エネルギ―が生まれるようなそんなかんじ。
なんでなんだろう。
楽しんじゃいけないことでもあったのだろうか。
それを許せないことでもあるんだろうか。
抑えていることでもあるんだろうか。
もっと自分を感じたいな。
今できるできないは置いといて、
じぶんにとっての「楽しい」を知っていたい。
・・・
家に帰って風呂に入ってから、またこれを開いている。
そんな中、「楽しい」は「体感」だよなと思い浮かんだ。
想像だけではいろんな感覚からそれを感じられていないし、
五感で感じられてこそ、楽しいがより実感するように思う。
じゃあなにから体感するの?
どこのどんな気持ちをキャッチするの?
いつ、どこで、だれと、なにを、どうする
より具体的な話に向かいそうだが
まだ掘り下げることがありそうな気がする。
そういえば体感と浮かんだ後に
最近できた自分のアトリエで過ごすことが思い浮かんだ。
自分の空間で、自分の思うように過ごせることが楽しいのかな
そう考えると、子どものころのテレビゲームもアトリエで過ごすことも
あんまり動いていないんだなぁ笑。じーっと、じぶんのものに集中するのがいいのかも。前に体験しに行った日本刺繍もそうだった。
あぁ、そういえばどれも手が動いている。わりと細かく。
そして、できあがる。うまくなる。自分が想像したものをつくっていく。
好きなゲームはロールプレイングだった。自分の好みのステータスを目指して、コツコツレベルを上げていた。逆にシミュレーションはあまり興味がなかった。
それをなぜ楽しいと感じている気がするのか。
そして上記の理由にあてはめるとしたら、
自分が感じている「ことば」に対するものはいったいなんだろうか。
あてはまるのか、別物なのか。
手先でパソコンを打ち込み、ことばを綴っている。
手書きではなく、機械に打ち込む方が気楽に行っている。
さてさて、これが今日の問いだ。
「上記の体験をなぜ楽しいと感じているのか」
「ことばに対する気持ちとその奥にはなにがあるのか」
この「楽しむ」を体得できたら、
より自分を発揮することに繋がるような気がする。
引き続き、探求する。
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